なんだか肌が合わないワケ | 博士号取得大作戦! -presented by Mika-

なんだか肌が合わないワケ

柳田先生のブログを読んでいて、発見。β主任となんとなく肌が合わないワケが分かった。


>知識を愛するのとは無関係にやる気満々で研究室を率いている人達はもうすでに40代を先頭にたくさんおられるというのが、わたくしの赤裸々な実感です。
(柳田先生のブログ該当記事 より一部引用。詳しくは記事全文をぜひ読んでみてください)


柳田先生という方は、私も実はあんまりよく知らないんだけれど、生物研究の業界でかなり有名な先生の一人らしい。たしか京大を定年退職後、今も特任教授として第二のラボ人生を送っていらっしゃるはずだ。


そんな柳田先生が指摘した、研究界の現状。的を射ている気がして、思わずウーンとうなってしまった。


β主任は、人間として全くダメな人であるという指摘はもう何度もしているとおりだけれど、研究のやる気は満々に見える。雇った研究員が実験結果を出せば、論文をさっさと書いて出すし、常に新しい研究分野を探して、いろんなアイデアを出しまくっている。だから彼の業績表を見れば、いつでも論文でいっぱいだし、シンポジウムも開催しまくっているから、外から見れば完全に「できるリーダー」だ。


でも、科学の研究って、論文出すだけが命じゃないと思う。新しい発見に対して興奮したり、みんなでディスカッションしたり、時には酒をかっくらったり、そういう「知識発見そのものに対する喜びを共有すること」が大事だと思う。まだ私は未熟で、そういう大事さがうまく説明できないんだけど、柳田先生はその大事さをきっとつかんでいるんだと思う。


研究をすることと、研究業績を出すことは、すこし違いがあるのかもしれない。β主任はいわゆる「研究業績」は出しているし、本人もやる気満々で楽しそうだけど、人とその喜びを分かち合うって感じでは全くないし、そういうことをするつもりもなさそうだ。彼のやっていることは、研究業績を出す仕事ではあるけれども、「研究」とは呼べないと私は思う。


研究ってなんなのか、正直いって私もよく分からないんだけど、すくなくともβ主任がやっているような「いろんな分野をつまみ食いして、論文を数こなす」のが研究の本質ではないと思う。研究の本質とは、今までの歴史の中でつちかわれてきたいろんな経験や知識を、その分野の先人から受け継ぎ、敬意をもって引き継いでいくことにあるんじゃないだろうか。なんだか伝統芸能みたいな感じだね。


正に40代の新進気鋭、β主任は、○研に来てから、仲良しの先生ができたという話を聞いたことがない。歴史のある○研には、先人がつちかったコミュニティがいろいろとあるけれども、彼はいままでの人たちと人間的な交流は何一つ持っていないし、持とうという気もないように見える。もしかしたら、もともとそういうのができない人なのかもしれないけれど。


あーあ、早くα教授がβ主任のワルぶりに気づいてくれないかなぁ。所長はすでに気づいているらしいのになぁ。でもα教授は○研の主任会にも出ないで外国を飛び回っているし、そういう、人として大切な何かを感じるカンは悪いみたいだし、期待できないかもなぁ。


そんなワケで私は、今回も休学延長届けを出すことにした。でももしかしたら、ぼちぼち研究室に顔出すくらいはするかもしれない。サイエンスとかネイチャーとか、研究室の本でも読みあさってこようかな。あっ、研究棟に入るためのカードキー、どこにやったっけ??


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おとといの晩酌

実家に帰ったら、酒責めにあいました。

・エビスビール 一缶

獺祭(だっさい) 精米歩合23%、日本酒純米大吟醸 常温で。

・百年の孤独 ロックで。